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「知的財産権」と情報社会

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「知的財産権」と情報社会

 1.近年、経済構造の現況を、情報社会に向かっている状況であると認定して、そのような経済における「知的財産権」の重要性が喧伝されることが多い。その主旨はどちらかと言えば、情報社会に向かう経済においては知識・情報産業が中心となるので、研究開発を進め、知識や情報の生産や流通を促進することで経済の発展・成長を達成するために、また情報化に伴うグローバル化に対応して国際競争力を確保するために、「知的財産権」に対する保護を充実・拡大しなければならないというものである。
 「知的財産権」には、著作権と、「工業所有権」と総称されることのある特許権、意匠権、商標権などがあり、さらに近年は「知的財産権」の保護の充実・拡大を図るため、コンピュータプログラム、発見、天然物からの抽出物、販売方式などのビジネス・モデルなども特許の対象としたり、公開しない技術情報であるノウハウの保護まで図るようになりつつある。
 しかし、これらの「知的財産権」として扱われている著作権や「工業所有権」と呼ばれることのある諸権利は情報に関わる権利であるから、主として物財を対象とする所有権とは性質を異にし、物財的な所有権にならった処理は本質的に合わないものである。その意味で「所有権」という言葉を使った「知的所有権」や「工業所有権」は適切でなく、「知的財産権」とするのが適切であるとともに、単なる呼称の問題でなく、権利の在り様において物財的な財産権とは自ずから異なるべきものである。そのため、知識や情報に係る財産権を物財的な財産権と同様に保護すると、情報社会への移行過程にある経済・社会の構造をゆがめてしまい、情報社会への円滑な移行を阻害したり遅滞させたりし、種々の軋轢や不幸な事態を生じる恐れがあり、適切な知的財産権の在り様が問われなければならない。
 2.情報に係る知的財産権の在り様を検討する際には、知的財産権と物財的な所有権との本質的な違いを明らかにすることが先決の課題となる。
 まず、物的な所有権、すなわち近代に至って確立した私的所有権の特性について検討する。物的な所有権に関して、近代以前は占有物を所有物として物財の占有・支配権と所属権を未分化に取り扱うことが多く、さらに個人、家族、村落共同体、地方権力者、中央権力者等々、多重・多元的に種々の所属関係及び権利関係が設定されていることが多かった。それが、近代にいたって、物財生産における分業・量産とそれに伴う商品化による物財流通に対応して、すべての物財の円滑な流通を確保する必要から、物財に対する所有権が一元的に設定され、また物財は2つの位置に同時に存在することはできないことから物財的所有権は排他性を持つものとして設定されている。さらに、私的所有権が社会的に普遍化するのに伴って、本来的に所有に馴染まない土地なども登記制度を設定して所有の対象にするとともに、物的に占有できないもの、占有していないものに対しても抽象的所有権が成立した。
 近代の所有権、私的所有権の特性を示すと、占有権から分離・拡張された抽象的な所属・支配権であり、「私のもの、すなわち絶対的な排他性を持って私に所属しているもの」、「自ら設定した制限と公共的な観点から設定された法的制限以外には、私の絶対支配権が及び、何者からも一切の干渉や障害を受けることなく、利用・処分できるもの」ということを含意している。
 3.これに対して、情報とは広く言えば関係の認識であり、情報は移転しても元に残り、流通させても減らないため、本来的に物財のような希少性はなく、希少性に基づく経済的価値を持つことはなく、また情報はその活用により効用が得られるという意味で価値(使用価値)はあるが、情報の保有によって価値が蓄積されるわけではなく、流通によって情報を受け取ったものにとって価値を持つものである。情報の保有によって価値が蓄積されるとすると、情報は容易に無限に複製することが可能であるから保有情報の複製によって価値が無限に増殖するという不合理を生じることになる。したがって、情報やアイデアに関してそれを創作したからといって、その情報に対して物財に対する所有権のような排他的・独占的支配権を認めるのは適切でない。
 このように情報に関しては、所有することはできず、保有するだけであり、かつ情報の保有は保有主体の情報ポテンシャル(保有情報の外延と高度性)を高め、より高度なあるいは外延の広い情報にアクセスしてその情報を活用することができるようになるが、情報の保有自体によって価値が蓄積されることはない。情報は、その情報にアクセスした人にとって価値が発生するので、新しい情報を創作・生産した人に与える受益権としての「知的財産権」は、保有している情報を流通させることでその情報を受け取った人からアクセス・フィー(access fee)を受け取る権利だけを認めるのが妥当である。
 4.次に「知的財産権」を具体的に順次見て行くことにする。まず、最も適用範囲が広く、一般性を持っている著作権について見る。著作権は、グーテンベルグによる活版印刷技術の発明によって可能となった印刷出版に対応してもたらされた。活版印刷による大量複製技術の成立によって、量産された物財が商品形態で流通するのと同様に、情報が出版物という形態で広く一般に流通することになって、著作物を創作した「著者」の概念が生み出され、その著者の利益を保護するため、著者が著作物の利用対価を徴収する権利として著作権が生み出された。
 歴史的な経緯からは、当初17Cまでは、不法な海賊版を取り締まるため出版に対して与えられる特許であったが、18C初のイギリスのアン法の制定によって、文学・学術を奨励するという目的で、著作者に出版物に対する権利を付与するという近代的な著作権法の原型が成立した。その後、ロックの所有論をふまえてその著作権を自然権と見なし、著作権を著作物・アイデアに対する所有権、物的な所有権に対応するような知的所有権とし、またパーソナリティ理論に基づいて人格的同一性が損なわれないことを保証する著作者人格権が設定されるに至った。
 しかし、現代のさらなる複製技術の革新、すなわちデジタル複製技術の進展とデジタル情報空間の成立によって、著作物が出版物のように物的に拘束された形態を離れ、情報の持っている特性がより顕著になってきており、そのため著作権の成立を促した状況とは異なる状況を生み出している。デジタル情報空間では、世界中の出版物の全文データベース化を指向したグーグルブック検索などに見られるように、すべての著作物をデジタル情報端末を用いてフリー(無料か、有料かをとわない)に入手できるようになりつつあり、その結果現実的にも物権的な著作権は止揚されつつあり、また書き手と読み手の区別が曖昧になって、著作者の概念が曖昧になってきている。このように著作物の情報的特性が現実的に明確になった状況における著作権の在り様は、情報にアクセスすることによって得られる価値に対して支払われるアクセス・フィーを受け取る権利とするのが妥当である。
 著作権の行使に当たっては著作をデータベースに登録・格納するのを条件とし、データベースへのアクセス毎に著作者が設定した料金(access fee)を支払うように設定されたDRM(Digital Rights Management:デジタル著作権管理)システムを適用するのが適切である。ただし、その適用に際してはアクセス履歴情報がアクセス・フィーの回収目的以外にデータベースから外部に漏出しないようにしてプライバシーの保護に関して十分な対策をする必要がある。また、端末でアクセスした著作データを再度複製転送するときには、転送先データをデータベースに送付することを条件に複製転送を可能にするようにコード設定するようにする。これにより、ファイル共有ソフトなどによる著作権侵害の弊害を解消し、個人のパソコンがホストになって自由にファイル交換をするP2P(peer-to-peer)によりインターネットの効率性と創造性を高め、効率的な情報流通の実現を促進することができる。なお、名和小太郎氏が『情報の私有・共有・公有』(NTT出版、2006年)で、「第一に著作権付与のために登録を義務づけること、・・・第二に録音録画補償金制度をさらに広く薄く拡張すること」という提案をされており、それと基本的なスタンスは同じであるが、録音録画補償金制度よりもDRMの方が原理的により適正でありかつ情報通信技術の発展によって実施可能であるため好ましいと思われる。また、著作者の人格侵害に係る著作の改変・パロディー化・盗用などについては、原作者と原作の関連部分を特定する表示を義務付けるだけで十分であり、それに対しても意図的に違反する者には親告罪として刑罰を与えるようにすれば十分である。
 なお、著作権の権利期間が死後50年、さらに欧米では70年に延長されたというのは明らかに長すぎる。著者の生存中ないし創作後、一世代の期間に相当する30年程度の所定期間の何れか長い方とするのが妥当であろう。権利期間が延長された理由は、主として「ミッキーマウス」などのキャラクターの独占権によって利益を得ているエンターテイメント企業の権益を維持することにある。しかし、そのために著作権全般の権利期間が長くなって、情報の円滑な生産流通を阻害するということはあってはならないことである。
 ただし、キャラクターに関しては、ネットとデータベースによって構築されている仮想空間がリアル世界の空間と連なった現実的な拡張空間として認識されるようになっている現代の状況で、その仮想空間で永遠の生命を持って生きるキャラクターが創作されており、従来からの「ミッキーマウス」、「スヌーピー」、「キティちゃん」などとともにそれらのキャラクターに擬似人格権を認める必要性も考えられる。このことから、このようなキャラクターや、実在する若しくは実在した人物(主として著名人)のキャラクターについては、著作権全般とは切り離して別途に規定して保護することを考えた方が良い。
 5.次に、物財やその生産に関する発明情報に係る特許権についてみる。物財というのは物体に情報が化体された価値物であるため、物財とその生産に直接用いる限りで、情報自体へのアクセスに対してではなく、各物財に対してロイヤリティを受け取る権利を認めてよい。というのは、発明情報は、純粋な情報に関わるというよりも物財に直接関わるものであるので、その発明情報にアクセスする際のアクセス・フィーだけしか認めないと、例えば大資本によって物財が量産されて流通するのに対して無力になり、アイデアのただ乗りを許し、特許制度の主旨である発明による産業発展と社会的厚生の促進作用が得られなくなるからである。
 かくして、表面的には現在の特許制度が実質的に維持されることになる。即ち、発明をした者が出願手続し、発明内容を公開することで特許を受けることができ、特許取得によってロイヤリティを受ける権利が発生する。ただ、発明自体はあくまで情報であるから、特許による排他的独占権を期限付きとはいえ与えるのは不当に過剰な保護であり、特許の実施権はロイヤリティの支払いを条件として誰にでも認められるものとする。この考え方に対して、現代の発明は発明者個人の創作力だけでなく、膨大な資本を投入した研究開発によってはじめて実現するものであるから、ロイヤリティだけでは保護が不十分であり、その結果発明意欲を沈滞させるという反論が考えられる。一方で、ロイヤリティを不当に高く設定すれば、実質的に排他的独占権を持ってしまう懸念がある。このような問題に対してはロイヤリティの法定上限を設定しておくことで対応は可能である。例えば、ロイヤリティの法定上限を、出願後5年間は製品の製造コストにその発明の寄与率をかけた金額の30~50%程度に高く設定し、5年目以降特許権が消失する20年目まで、毎年2~4%ずつ減じた値、若しくは等比級数的に減じるように設定すれば、特許権者が自ら又は特別に許諾した者が製造する場合にも製造が軌道に乗るまでの間に大資本などの第三者が参入して過剰に高い競争力を持ち特許権を持った業者が排除されてしまうような事態は確実に排除できると思われる。
 特許対象の拡大に関しては、特許権を物財的な財産権とはせず、物財化しないものはアクセス・フィーだけを認め、物財化したときにはロイヤリティを受け取る権利とする限りで拡大しても支障を生じることはなく、むしろ情報生産に適切なインセンティブを与えるとともに流通を促進するので望ましい。
 なお、特許制度に関して、特許性を審査してから特許を付与する審査制度はコストがかかるという問題があるため、無審査登録制とした方が良い。ただ、特許権を行使するに当たってはその前提条件として現在PCT(国際特許協力条約)で指定されている国際調査機関(現在日本特許庁などの主要国や欧州連合の特許庁が指定されているが、特許庁の審査部門の大部分を民間調査機関に移行する)による特許性に対する調査報告を付けることを義務付け、さらに特許権の行使に当事者間で疑義が生じた時には、特許の有効性に関して特許庁などの特許審査機関の判断を仰いだ後でないと、訴訟ができないようにするのが妥当である。また、特許公開は、発明情報の流通速度を高くして技術進歩の一層の促進を図るため、現行の出願後1年半よりもさらに短縮し、例えば1年とするのが妥当である。
 実用新案登録制度や意匠登録制度も特許制度に準じる。
 6.次に、商標権に関しては、商標の盗用による信用のただ乗りや信用失墜を防止するという不正競争防止を主旨とするものであり、知的財産権とは基本的に異質のものであり、知的財産制度からは切り離すべきである。
 商標法は商標の不正使用に対して迅速に対応するために商標の登録制度を設けたものであり、現行制度はその実施に当たって、審査・登録事務の類似性から特許庁の管轄としたものであるが、不正競争防止の範疇に属するものであるため、消費者庁の管轄とすべきである。また、不正競争の防止の観点から商標法の本来的な制度のあり方としては、出願された商標は無審査で仮登録して公開し、出願後1年以内に使用実績報告と、実績調査に必要な費用を賄えるそれなりの申請費用を課して本登録申請を行うようにし、使用実績を条件として審査を行って本登録することとし、本登録されなかったものは完全に登録無効とする制度が適切であろう。なお、商標登録の審査は情報技術の発展によつて簡単に低コストにて可能である。