本日 8 人 - 昨日 0 人 - 累計 16010 人

非営利企業

  1. HOME >
  2. 情報社会の基盤システム >
  3. 非営利企業
 非営利企業-情報社会に適合した企業形態-

1.はじめに
 近年、非営利組織(NPO)の普及と活躍が顕著であり、NPOが果す役割に多くの期待が寄せられている。しかし、所詮、NPOは資本主義経済が生み出す社会的課題の中で、公的に解決されずに放置されているものに対して、特にその内最も過酷なものに対して、課題の根本的な解消はできなくても労苦を緩和できるものについて手助けして緩和するという範囲に止まらざるを得ないという限界を持っている。その活動は大変有意味であることは確かであるが、それでも課題を生み出す構造の変革には結びつくものでないという空虚感を捨て去ることができない。
 それは、NPOが、社会的課題を解消・緩和するための活動を行うという側面と、その活動資金をチャリティや寄付金によって得るという意味で限定された非営利という側面とによって、経済的に限定されていることによるものである。一方、最近では活動資金を自らの事業活動によって得る事業型NPOも登場するようになってきたが、それでも生じた社会的課題の解消を図るということに限定されるため、経済の主流を占めて社会的課題の発生自体を解消するという指向を持ち得ないものである。
 本稿は将来的に経済の主流を占め、資本主義経済に特有の社会的問題を発生しない経済を実現する非営利組織形態として、非営利企業を提案するものである。
2.非営利企業とは
 まず、本稿における非営利企業の定義を端的に示しておくのが、容易にかつ正確に理解してもらうのに最適であろう。非営利企業(NP企業)とは、利益非配分(Non Profit)で事業活動を行う有限責任企業であると定義でき、英文では、例えばNP.LLCという表記が適切である。このNP企業の具体的な特性を列記する。
 (1) NP企業は有限責任会社である。
 (2) 利益非配分はNP企業成立の絶対条件である。
 (3) NP企業は外部の人(自然人及び法人)の所有物となることはない。
 (4) NP企業及びその起業家のインセンティブは、企業とその活動が高い社会的評価を得ることに  ある。企業理念としては広い意味で社会貢献すること、即ち社会的課題の解決に限ることなく、私  企業のほぼ全ての事業分野を包含する事業において利益を追求するのではなく社会貢献することに  ある。
 (5) NP企業の起業家と起業時の資金提供者は、企業が存続する限りずっとその社会的貢献による  栄誉が顕彰される。
 (6) 利益は内部保有資産に組み入れるか、初期の提供資金の返済や融資ファンド(後述)からの融  資金の返済に当て若しくはさらにファンドに寄付するか、他のNP企業に資金提供(寄付)する。
 (7) 従業者の賃金は、その平均賃金が最低賃金によるフルタイム賃金の3倍以下に、企業内の賃金  格差(最高/最低比)は、3倍以内に規制し、これもNP企業としての成立条件とする。
 (8) 企業解散時には、現存資産をすべてファンドに返済又は寄付するか、他のNP企業に移管す   る。
 (9) NP企業成立条件を満たし、収支と保有資産及び賃金の公開と、それらに関する公的監査を受  入れることを条件として、非課税(税率0)又は低減税率とする。
 (10) NP企業を不正に立ち上げ、不当な利益を得た者に対しては、社会に対する背徳・反逆とし   て、一般的な経済犯罪とは切り離して極めて重い刑罰を科する。
 以上のようなNP企業の設立に際しては、一般的には起業家が自らの資金を提供して立ち上げることになるが、資金が無くても設立できるように支援して設立を促進するため、適宜にNP企業融資ファンドを設立する必要がある。そのファンドは、政府・自治体の提供資金、CSR(企業の社会的責任)による企業寄付金、個人献金、NP企業の資金返却及び寄付金、NP企業解散時に受け入れた資産によって構成する。
 NP企業への融資条件は、事業の継続性を条件とし、融資した事業資金を食いつぶして解散するようなことがないように十分なチェックを行う必要がある。
 このファンドの運営においては、運営主体(公的部門からの独立性)、監査・監督などの運営方法が極めて重要である。
3.NP企業という組織形態の位置
 次に、NP企業が他の非営利組織に対してどのような位置にあるのかを、歴史的経緯を絡めて説明する。
 非営利組織=NPOの最も原初的な形態は、ボランティアによる社会的課題の解決であり、これが典型的な形態である。このようなNPOにおいては、その活動資金を寄付によって得ているものが大部分であり、寄付によって得た活動資金は各種経費にのみ充当して人件費はゼロとし、文字通りボランティアにて無賃金で仕事をするのを原則としている。ある意味、その原則を前提にすることによって寄付を集めることができるという面もある。
 しかし、このような限定的なNPOでは、一時的には集めた寄付によって活況を呈して活動することができたとしても、企業や公的機関などから継続的に寄付や支援金を得られるもの以外は長期にわたって継続することが困難である。というのは、事業を継続するには、活動の基本方針を決定する理事会や専従で統括事務を行う事務局は不可欠であり、その理事や専従事務局員の生活賃金を支給するためには継続的な寄付金や支援金は不可欠である。そのため、継続的なNPOには、公的機関が行うべきであるが現実に手が回らない福祉サービスのような作業を代行することで、そのサービス委託料として支援金を受け取るようなNPOが多く存在する。しかし、公的資金が入るとNPO自体の活動が行政の支配下に入ることを求められるため、NPOの活動が縛られて本来の活動に規制を受けてしまい、行政の下請機関になり下がるという問題がある。
 なお、鵜尾雅隆氏は、①計画的寄付制度(プランドギビングPlanned Giving)を創造し、②富裕層寄付促進(個人財団、ファミリー財団の形成を促進する税制を作る)を図り、③慈善(フィランソロピー)教育を行って篤志家を作り、④寄付市場のルール作り(社会とNPOの間のパイプラインのルール・規制の確立)を行い、寄付の拡大・定常化を図ることによって、NPOが社会・経済的に影響力のある主体となって社会を変革することができるという見解(『ファンドレイジングが社会を変える』、三一書房、2009年 参照)を提案している。これらの課題を達成することでNPO活動が活発化することは重要かつ大変好ましいことではあるが、主としてボランティアと寄付に依存しているNPOである限り、結局主要な社会・経済的主体となることは困難であると思われる。
 一方、この種のNPOとは別に、字義通りに解した広い意味の非営利組織として従来から、共益型の非営利組織と公益型の非営利組織が存在している。共益型非営利組織は、各種の協同組合や共済組合など、営利のための事業組織ではなく、組合員相互の共益を図るための事業組織である。共益型非営利組織では、利益が出た場合には組合員に配当を行うことになっており、ある程度の配当を行うことが必須のようになっているような面があるとは言え、利益を目的とする資本に転化するようなものでない。また、大規模に組織化された組合も出現していることから、レギュラシオン派が想定するように市民社会の中でその経済的・社会的・政治的機能を高めることによって経済構造に対して影響力を持ち得る可能性も考えられるが、やはり組合員の共益組織であるという原理・原則に基づくものであるため、市場経済で主流となることは原理的に不可能であると言わざるを得ない。
 公益型非営利組織は、公益法人、社会福祉法人、学校法人、宗教法人など、それぞれ特定の公益的と見られる事業を非営利目的で行うことを条件として、各種の公的な補助や優遇を授ける制度に基づいて存立している法人格を与えられた組織である。この公益型非営利組織は、それぞれの特定の事業分野で社会的課題を解決するのに大いに寄与している。しかし、公益型非営利組織は社会的課題の発生自体を解消する方向性を持ち得ないだけでなく、その一方で一部では組織が肥大化して公益は表向きだけで、実質的に一部上層部が支配する利権組織化しているものもあるというのが現状である。
 ところで、経済成長と一国経済を前提としたケインズ-フォードシステムによって資本主義的経済と福祉社会の両立を図ることが、1970年代以降、資源と地球環境の制約及び情報化とグローバル化の進展によって困難になり、経済・財政的な行き詰まりに陥った。その閉塞状況に対して、新自由主義を標榜して自由競争・規制緩和・「小さな政府」によって経済再生を図るという政策が展開された。その結果、グローバルに活動する金融資本によって表面的に経済的な繁栄がもたらされるという面がある一方、「小さな政府」によって社会的課題を緩和する福祉制度が削減され、その結果社会的課題が噴出することになった。「大きな政府」が否定されることで、政府が社会的課題を解決する責任は放棄せざるを得なくなっている。
 そこで、「小さな政府」のもとで生じた公益サービスの不備を補い、社会的課題の緩和を行うことをミッションとして商業活動を行う社会的企業(ソーシャルエンタープライズ)が、政府と私企業の間に位置するサードセクターとして生みだされた。
 英国では、「小さな政府」において官業の効率化のために民間委託が推進されたが、それは労働の劣悪化と低賃金化、及び格差固定化効果をもたらし、社会的課題が噴出することになった。そこで、ブレア時代(’97~’07)に政府機関としてソーシャルエンタープライズユニット(社会的企業局)が設置され、社会的課題の解決を図ることを目的とする社会的企業が政府によって公認され、後押しされてその設立が多いに促進された。
 欧州でも大陸側、特にフランスでは、共益型非営利組織や公益型非営利組織がもともと強い社会的基盤を持っていたため、英国のような社会的企業という形態ではなく、レギュラシオン派によって共益型非営利組織や公益型非営利組織を「社会的所有・管理」を基本的要件とするものに一層発展・展開することで、社会的課題を解決できるような新たな社会構造を実現しようとする方向性を取っている。
 米国では、NPOによる活動が盛んで、NPOの重層的な組織体系が存在したことから、不足したその活動資金を寄付のみに頼らずに自らの資金を事業活動によって調達する事業型NPOが主流となっている。
 このように広い意味での社会的企業は、福祉・教育・住宅・雇用・環境・新たなコミュニティ形成などの人々の生活を左右する場面で、私企業や政府から排除されたり、見落とされる権利や価値を守るという社会的目的を達成する企業であり、また私企業と政府という強力なセクターの間に位置するサードセクターで、企業家精神に長けた人材によってビジネス手法を用いて商業活動を行ってソーシャルイノベーションを行う企業であり、また社会的目的最優先で、非利益(Non profit)ないし利益非目的(Not for profit)でビジネス再投資を行うことを条件として多様な組織形態をとっている企業である。
 このような共益型・公益型非営利組織や社会的企業に対して、本稿で提唱する非営利企業は、社会的課題の解決は当然として、それに限らず広い意味で社会的貢献に寄与するあらゆる事業を事業分野として事業活動をする一方、利益非配分を絶対条件とするという意味での非営利企業(NP企業)である。
4.NP企業と市場
 言うまでも無く、市場と私企業とは相互に強く結び付いた関係の中でそれぞれが成立している。市場なくして私企業は全く何もできず、また少なくとも現状、即ち商品生産社会に到達した段階では私企業を前提として市場が存在していて私企業が無ければ市場は実質的に無となり、市場と私企業は対概念といえるものである。
 しかし、市場それ自体は古代以前から存在している。交換場所がそれとして設定されず、日時も不定期に互酬的に物品交換が行われる市場成立直前の段階から、まず特別な設備は無いが交換場所(市場)と市が開く日が決められ、その市に商品を持ち寄って交換を行う段階、次に商品生産が一般化することで、市場設備と市場の運営組織があって定常的に市場が開かれている段階、そして資本主義的な商品生産システムの発展により物品市場に限らず、証券市場や為替市場などの金融市場など、非物財的な市場が登場し、経済に占めるそれらの比重が高くなった段階、さらにIT革新によりもたらされたグローバル金融資本主義によって証券や為替などの金融市場が経済動向を主導的に支配する段階にまで至っている。
 現状の市場は、情報化の進展により金融、原油・ガスなどのエネルギー、穀物などの基幹農産品など、主要かつ国際化している商品に関する市場は、商品のデータを突合処理するデータセンターとしての機能になっており、消費者対象の工業生産商品や食料品などの小売商品についても大規模小売店や各種チェーン店において情報収集によって決定される商品データの集合体が市場であり、これらは実質的にバーチャルな市場で、取引所などの市場はあくまで見せるためだけの機能を持っているだけである。物理空間的な市場は生鮮食品や花や和牛など、現物を見ないと品質が分からない特殊で経済的には大きな影響を与えない商品に限定されている。
 ところで、市場の機能は、私企業が普遍的な企業形態の経済にあっては、各私企業が自由(価格・取引量・参入の自由)市場での競争のもとで最大の利益が得られるように利用可能なあらゆる資源を配分することで、経済全体で最も高い利益が得られる可能性の高い部門に次々と資源が配分され、資源配分の効率性が達成されるということにある。ただ、それはあくまで利益に対する資源配分の効率性に過ぎない。
 このような市場の機能を企業及び経済全体の運営の第一要件とするのが市場主義である。そして、物財生産が主体の素朴な産業社会では、利益は単純に物に化体された価値の増殖、即ち物財生産(経済・GNP)の拡大によってのみ得られることから、市場主義は生産を拡大し、物的生活の向上に多大な寄与を果してきたと言える。
 しかし、情報化が進んだ経済において効率性を追及するということは、情報化の進展により成立したバーチャル市場で利益獲得だけを動因とすることになり、結果としてバブルと破綻の繰り返しをもたらし、社会の発展に寄与できないことになる。というのは、バーチャル市場では商品の実体とは関係なく市場価格が形成されるとともにその市場価格で実物の交換が行われることになり、しかもその価格変動によって利益が生み出されるため、利益至上主義とバーチャル市場が結合した状態でレバレッジをきかせた市場取引が行われると、市場機能という単純な制御系においてゲインを過度に上げたことになり、市場による価格の制御が発散してしまうためである。かくして、市場原理主義(市場を絶対視して神と崇め、市場動向を神の託宣とする)の誤りが、リーマン・ショックとその後の世界不況によって露呈することになったのである。
 これに対して、NP企業は、企業としてのミッションを実行するため所要の事業を市場に対して行うとともに、そこでの利益を非配分とすることにより、利益がバーチャル市場での投機による価格変動に投入されるのを防止し、利益がそのまま社会資本としてのみ蓄積されることになり、その結果市場が資源の適正配分を実現する機能を奏し、市場を本来の市場に復元することができる。
 また、情報社会では情報生産が主となり、かつその情報は価値そのものであるため、かつその価値は市場において情報の価格として体現されるため、その市場価格で情報流通が行われることによって、市場が情報資源の適正配分を実現する機能を奏する。そして、情報の価値は物化・蓄積できるものではなく、物財的な価値の蓄積による資本化とは相容れず、上記利益非配分のNP企業と市場との関係は、そのままこの情報社会における市場機能に適合する。
5.NP企業の組織形態と経営戦略
 NP企業は、利益配分を行うことは絶対にないので、株主に対する配当を行うことが前提の株式会社という組織形態をとることはありえない。株式会社が株主の私的所有であるのに対して、NP企業の所有権、即ちNP企業は誰の所有かということに関しては、NP企業は企業体として成立した時点でそれ自体として存在し、誰かの所有という概念にはなじまず、敢えて言わねばならないとすれば、NP企業はNP企業自身のものということになる。NP企業は、起業家・社員又は従業員・その他のステークホルダーによって、その企業に対する関与・関係の深さに応じて共同して保有されているものと言える。NP企業は、所有関係によって社会との関係が規定されて存在するのではなく、社会との関係の中でNP企業の担い手が共同して関係を保有することによってそれ自体として存在するものと規定され、保有関係によって社会的に存在するものである。なお、現行法下では、一般社団法人ないし有限責任会社(LLC:limited liability company)として設立することになる。
 NP企業の組織と経営における基本的な戦略は、社会的にも企業内においても、競争と協働の融合を実現することである。その原則は、先に「競争と協働」で述べたように、①開放性(内部及び外部への情報公開)、②自主性(自立)、③充実性(競争及び協働それぞれの成立条件の充実)、④共感性(相互理解)、⑤連携性ということにある。
 NP企業における事業執行部門は、事業単位のプロジェクトチーム編成とすることで、競争と協働の融合の現実化が容易で、その事業の組合せで競争優位を確保することができる。というのは、先に「情報社会に向けての経済構造の展開」で述べたように、事業部・部・課・係というような普遍的・恒久的・位階的な年功序列制に対応した組織ではなく、またその意志決定も位階的な組織に沿って下から上に判を押して行く稟議書による責任分散型合意形成方式ではなく、各職場における具体的な事業対象ごとのプロジェクトチームが、事業対象間の関連性に応じて相互に連携した状態で集積した組織として構成され、それによって「競争と協働」の原則が有意味かつ具体的に実現可能となるのである。
 企業の経営戦略や経営計画の策定、経営状況の報告・承認に関しては、最高責任者である企業の代表者と、必要に応じて極少数の専門アドバイザーと、プジェクトチーム代表によって構成され、さらに必要に応じて対象となるプジェクトチーム全員が参加して行われる戦略経営会議において、企業管理のプロジェクトチームによる報告に基づいて討議することによって行い、その結果を直ちに関連する利害関係者に報告するという組織運営が適切であると考えられる。戦略経営会議で必要とされる企業管理データの報告は、情報処理技術が進展したことによって、少数の専門の経営データ処理技術者からなるプロジェクトチームによって十分に可能であり、最早階層的な管理・支配体系は不要となる。
 NP企業の最高意志決定機関は、当然のことながら一人一票の議決権をもった社員総会であり、その他の各種ステークホルダーは議決権はないが参加権と意見表明権を持つものとするのが適切である。社員総会の決定事項としては、最高経営責任者、執行役、監査役の選出と、事業の基本的な計画と戦略の決定にある。ここで重要なことは、社員総会においてその意志決定の議論を形骸化・空洞化させないことであり、そのためには、事業執行部門であるプロジェクトチームごとに事前に十分に議論してその意見が総会で反映されるようにする必要がある。そのための前提条件として経営に係る重要情報はすべての社員に公開・周知されていることが必須である。なお、社員数が膨大になって一箇所に集まってまともに議論できる状況で無くなったような場合には、プロジェクトチームの代表者が出席する代表者会議を社員総会に代替させることも考えられる。
 このようなNP企業は、競争と協働が融合した企業組織であるため、多様な社会的課題への新しい解決方法や新しい社会的価値を生み出し、新しい社会的事業を展開するのに最も適合していると言える。その際に、既存の社会的企業、中間支援組織、資金提供機関、大学・研究機関などの他の組織や機関と協働することで高い競争力を発揮することができる。そのため、これらの企業・組織・機関が地理的に集中し、協力的かつ競争的な関係を構築して集積した状態、所謂ソーシャル・イノベーション・クラスターを形成することを、NP企業の効果的な戦略として採用するのが好ましい。
 また、このような組織形態のNP企業は、情報社会における特長であるネットワークを活用して事業の効率を高めるに際して、所有原理に基づいた競争原理・利益至上原理の私企業より有利である。私企業では競争原理と利益至上原理があるので、ネットワークを活用して他の私企業と協働して効率を高めようとしても原理的に不可能であり、実効性を持つには共同企業体を作るしかなく、その結果極めて限られた範囲でしか実現しない。これに対して、協働原理の強いNP企業では、プロジェクトチームの各々が自由に他のNP企業のプロジェクトチームと有機的に高度に編成されたネットワークを形成して活動することが可能であり、極めて効率的に必要な活動を実行することができ、NP企業はネットワーク形成戦略を効果的に立てることができる。
 NP企業が展開するのに好適な事業分野としては、①ITに係る知識集約型産業、②福祉などの対人サービスに係る労働集約型産業、③地域を活性化する農業や各種地場産業、④地域文化に根ざした地域整備や観光やコミュニティ形成などがある。これらは現在成長分野として挙げられている分野に重なり、まさにこれらはNP企業が主流を占めることが歴史的に不可避な流れであることを示している。
 なお、ある事業が社会的に高い価値を有しているが、利益(事業継続性)が望めない場合には、NP企業は社会的企業(寄付・ボランティアによる)部門を組み合わせることで使命の実行や価値の実現を図るのが適切であろう。
6.ソーシャル・ビジネスについて
 最後に、以上のようなNP企業と基本的な考え方が同じないしは近いと思われる「ソーシャル・ビジネス」について説明する。
 グラミン銀行を創設し、ノーベ平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏が、貧しい人々に役立つ多くの種類の企業を創設する方法として、自己持続できる価格で製品を販売する会社であって、その会社の所有者は一定期間で投資分は取り戻すことができるが、配当という形で投資家に利益が支払われることはない「ソーシャル・ビジネス」という企業形態を提起している(ムハマド・ユヌス著、猪熊弘子訳、『貧困のない世界を創る』、早川書房、2008年、及びムハマド・ユヌス著、岡田昌治監修、千葉敏生訳、『ソーシャル・ビジネス革命』、早川書房、2010年参照)。これは本稿でのNP企業と共通する点が多く、かつはるかに先んじて実際に実現されている点で画期的で、革命的でさえある。
 このような流れ、特に「ソーシャル・ビジネス」が現実的に実現し、その考え方が広く受け入れられつつあるのを見ると、利益至上主義のグローバル金融資本主義が生み出している弊害が無くなる社会が遠くない将来に実現しそうにさえ思えてくる。
 ところが、「ソーシャル・ビジネス」というのは、本稿のNP企業の視点から言うと、非営利、利益非配分ということを述べながらも、その意味するところに対する認識が弱く、株式制度や所有概念をなお残しているという点で限界があるように思われる。「ソーシャル・ビジネス」は、国民が貧しく、資本主義システムが全般的には確立されていないバングラディシュにおいて、グラミン銀行が成功した状態で社会的必要性に答えるという観点に基づいて実現された企業形態であると思われる。
 具体的には、1996年設立の携帯電話会社グラミン・フォンは、ノルウェーのテレノールが62%、グラミン・テレコムが38%の比率で株式を持っているが、設立当初は会社誕生後6年後にグラミン・テレコムが筆頭株主になるように、テレノールが株式を売却し、その保有率を35%以下に引き下げることを公約していた。しかし、予想に反して市場が急拡大するという成功を収め、私企業の事業として儲かる可能性が出てきたため、テレノールは上記公約は法的に拘束されるものではないとの説明で拒否しているという状況(少なくとも2007年時点)である。株式会社である以上当然の結果ともいえるが、「ソーシャル・ビジネス」の理念とは相容れない状態である。
 また、栄養食品製造会社のダノン・グループとの間でバングディシュの貧しい人にヨーグルトを提供するための「ソーシャル・ビジネス」として合弁会社「グラミン・ダノン」が2005年に設立されている。今度は50%出資の合弁会社とすることで、テレノールの失敗を教訓としたと思われる。しかし、投資金を返済した後、所有権の認識のためとして、原則を捻じ曲げて1%配当を行うこととしていた。なお、その後2009年12月には、基本原理を忠実に守り、企業の所有者は投資の原本を超える配当を受け取らないという決定が為されたようである。一方、私企業であるダノン側では、可変資本投資会社ダノン・コミュニティーズ・ファンド(相場利回りを確保するため金融市場に90%、社会的便益をもたらすためにソーシャル・ビジネスに10%投資)を構成することで、主流のマネーマーケット・ファンドとしてフランス証券取引所取締機関によって設立許可を受けるという工夫をする必要があったのである。これは、ダノンを創業した時における創業者の高邁な理念と国際企業ダノンとしての企業イメージの向上戦略に基づいたお情け投資によって、しかもマネーマーケット・ファンドの一部に組み込んだ形でのみ実現可能となったものであると言える。
 また、利益至上主義の私企業が「ソーシャル・ビジネス」に対して投資するインセンティブとして、「ソーシャル・ビジネス」に投資すれば、出資金は返ってくるし、自立する企業の所有権を保有することになるということが表明されている。また、「ソーシャル・ビジネスの株を売買できるほうがいい」、「ソーシャル・ビジネス株を専門に取引するためにソーシャル・ストック市場もすぐに必要になる」、「株価は所有者であるソーシャル・ビジネス投資家たちの総意を反映するだろう」などという記述もなされているが、これらの表明が「ソーシャル・ビジネス」の理念と矛盾しないということが理解困難である。起業時に資金を提供したとは言え、その資金が-場合によっては妥当な利子を付けて-返済された後にも法的な所有権を主張し続けることができるというのは、理念と適合しないように思われる。起業時に出資した人が急に資金が必要になったときに、所有者という地位と出資金の回収を第三者に移転して資金を速やかに回収できるようにすることで、資金の流動性を確保して出資を促すという考え方も理解できないことはないが、それでは「ソーシャル・ビジネス」が利益至上主義システムに従属することになり、結局経済を変革するのではなく、弊害をもたらす利益至上主義システムの尻拭いをする補完物に自ら貶めることになると思われる。
 さらに、「ソーシャル・ビジネス」は、資本主義システムのミッシング・ピースであり、「ソーシャル・ビジネス」のシステムを導入していくことにより、現在主流となっているビジネスの考え方の外に残された非常に大きな世界的問題に取り込む力が資本主義に備わり、そのシステムを救うかもしれないという位置づけが為されている。また、資本主義の構造を完全なものにするために、私たちは人間の多次元的な本質を認識させられるような別の種類のビジネスを導入する必要があり、それは既存の企業を「利益の最大化を目指すビジネス(PMB)」として記述するなら、新しい企業は「ソーシャル・ビジネス」と呼ばれるかもしれない、というような記述がされている。このことから分かるように、「ソーシャル・ビジネス」は資本主義の補完物としてしか位置づけられていず、現代資本主義社会が生み出す弊害そのものを無くす社会を構築するということを明確にし得ていないと言わざるを得ない。逆に言うと、「ソーシャル・ビジネス」の基本理念を忠実に守った企業が経済の主流になれば、利益配分を動因とする資本主義が駆逐されざるを得ないということは明らかであり、「資本主義の枠組みにソーシャル・ビジネスを加える」というような状態に止まることはあり得ない筈である。「ソーシャル・ビジネス」はこのことをあいまいにしている限りで、あるいはあいまいにして主流にならないように枷をはめている限りで、利益至上主義の投資家によってその存在が許容されていると言える。
 「ソーシャル・ビジネス」は結局のところ、株主が所有している株式会社であって、現在のところ過半数の株式を所有している株主が、投資原本を越えては配当されることはないと決定していることで実現しているものであると言える。しかし、その決定は株式会社である限り、所有株式数の多数決で決定される株主総会で自在に変更され得るものである。それは、例えば事業内容の決定に強い影響力を持つ株主が、善意であるいは意図的に過大な事業拡大策を決定させ、その結果として会社が倒産直前の状態に陥ったとすると、そこで上記株主が他の意識の低い株主に対してソーシャル・ストック市場でそれなりの価格で評価されている株券が紙切れになると脅し、その前に所定の価格で買い取るという話を持ち込めば、株式の過半数を占めることは可能である。そうなれば、資金を集め、企業のガバナンスを確立するために、少しでも例えば1%でも配当する必要があるという名目で配当を復活し、その後は「ソーシャル・ビジネス」によって展開された事業を基礎にしてあっという間に普通の私企業として見事に再生し、大きく成長するという事態になる可能性が高い。「ソーシャル・ビジネス」には、ユヌス氏が引退した後もこのような事態の発生は杞憂に過ぎなかったと言えるように、最善の注意を払ってほしいと祈るばかりである。
7.おわりに
 最初に述べたように、近年資本主義経済システムによる弊害が益々顕著に現われるようになったことから、その限界を明確に認識し、非営利組織の役割に期待するようになってきている。ただ、現存する非営利組織は、基本的に資本主義経済システムの存在を前提にした上で、その弊害を緩和することを目的として活動するものが殆どである。しかし、それでも一部に非営利組織がいずれ経済的に主流となるという見方が提示されるようになってきている。
 例えば、田尾雅史氏は、「資本主義が株式会社という組織の叢生を促したように、資源が乏しくなる社会は、非営利組織という組織を必要とし、それが林立することを当然とする社会となろうとしている。」(田尾・吉田編、『非営利組織論』、有斐閣アルマ、2009年、P208参照)と述べている。
 また、スウェーデンの環境教育教科書『視点をかえて』においては、人間には所有欲求と存在欲求があり、工業社会とは、存在欲求の犠牲において所有欲求が圧倒している社会であるが、知識社会になれば存在欲求が所有欲求を上まわるという見解が提示されている。
 また、非営利企業は、ユヌス氏の「ソーシャル・ビジネス」のように株式を発行することでしか事業資金を調達することができないのかというと、そうでもないことはユヌス氏の著述の中に利益を求めずに社会的貢献を行うために提供される資金が多いことが説明されていることから明らかである。
 また、優秀な多くの起業家が、金ではなくて、自己実現、社会の課題に対する使命感に起業の意義を見出しており、そのような使命感を強くもった起業家が昔からも多くいたが、近年は益々多くなっているので、起業家がNP企業を設立し、さらにそのNP企業が経済社会において主流となって、現代の資本主義、グローバル金融資本主義とはまったく異質な経済社会を登場させることは夢物語ではないと思われる。