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「情報資本主義」批判

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 「情報資本主義」批判
                                        
1.資本主義と私的所有権
 資本主義的な生産は、所有権制度を前提としている。すなわち、資本主義的生産にとって最も基底的な条件は、物財生産に必要なものがすべて所有の対象であることであり、物的な生産手段だけでなく労働力をも所有権の対象とし、その上で資本が自由な市場で等価交換取引によってそれらを所有できるようにすることによって、資本が生産手段と労働を支配下において物財生産を行うものである。かくして、資本主義体制とは、資本が労働者の持つ労働力を所有して生産を行うことによって労働生産物を資本の所有に帰す体制である。
 所有の定義としては、「価値を有する対象」を独占的にかつ誰にも干渉されずに自由に処分・移転し、あるいは利用権等の一部の権利を設定・移転できる状態にあることを所有していると規定することができ、所有権とはその所有状態が権利として認められているということである。したがって、所有権が同一対象に同時に二重に成立することは有り得ず、よって所有権は単一性、独占性、排他性を本質的属性としている。
 近代の私的(資本主義的)所有権は、物財を占有した状態の所有を中核としつつも、物財の普遍的な流通の実現のために抽象化され、その独占性が物的空間的拘束性からは解放されて物理的・空間的占有と切り離された抽象的な権利とされ、物財に対して抽象的に独占的・排他的支配権を認めるものに転化した。資本制下での物財の大量生産と普遍的な流通を確保するためには、所有権の抽象化は必須であった。
 また、大量生産された物財が普遍的に流通して各物財が各々所有されるということは、同一の情報が物財(情報が物質に化体されたもの)という形で比較的低コストで多量に複製され、その同一情報が同時に多数の人々に保持されるということであり、これは資本制下における物財生産の情報的側面を示している。かくして資本主義はその発生時からすでに物財の大量生産に伴って情報的側面を有していたのであり、資本主義は、物財生産に依存するものでありながらその発展を期すために情報的側面を持つという根本的矛盾を抱えた体制であるといえる。
2.情報と資本主義
 一方、情報は「価値を有する対象」ではあるが、同時にかつ多重に保有することが可能で、独占性・排他性を持ち得ないものであるから、情報は物財とは違って本来的に抽象的にも所有できず、私的所有権の対象にはなり得ないものであり、さらにその価値は一般的に時間とともに低減しかつ普遍的に流通するとその価値は無くなる性質がある。したがって、情報は、私的所有権を基底的な要素とする資本主義とは本来相容れないものであり、まず原理的に「情報資本主義」という概念は成立し得ないものである。
 また、情報の本質的な特性からして情報化がさらに進展することによって資本主義制度が存続できなくなることは必然的である。情報化の進展に対応してニクソンショックで通貨が金の裏づけを離れたことにより通貨が仮想的でありながら現実的に能動的な経済要素となり、通貨が実物経済から独立して実物経済に直接的に影響を与えるようになって自己増殖可能な資本として機能し、グローバル金融資本主義として展開されたが、さらに情報化が進展すると、物的拘束性から解放された情報自体が独立して経済的価値を持って流通するようになって情報の生産・流通が爆発的に増加し、経済における情報の生産・流通の重要性が拡大することになり、物財から離れた情報が人間活動の大部分を占めるようになる。そして、情報が私的所有権のくびきから離れ、解放されて流通したとき、原理的に資本主義とは異質な情報社会が飛躍的に発展することになる。
3.現代資本主義
 現代の資本主義的生産システムでは、コンピュータとインターネットの発展による情報技術革新の下においても、それを活用したグローバルな分業生産体制を形成することによって、物財生産が大きな比重を占めている生産構造に基礎を置いた資本主義的生産様式をまだまだ維持しており、その限りで情報化の直接的影響が少なく資本主義は安泰であるともいえる。そして、現代資本主義がこの状態にあることを明確に認識した上で「情報資本主義」と呼ぶのであれば、情報と資本という言葉の結びつきは適正でないとしても資本主義である点で特に異存はない。
 しかし、それでも既に物財的欲求が飽和状態にある先進国での、例えば車に代表されるような物財に対する欲求減退、物財の過剰消費がもたらした環境・資源の制約の影響を大きく受けて、情報を重大な要素とするイノベーション無くして成長無しの状態に陥っており、かつ情報化によるイノベーションで達成した価値はその低下速度が著しいため利潤率の低下は目を覆うばかりであり、唯一グローバル化によって後進国を資本主義的生産システムに組み込むことによって物財生産による資本主義的再生産がようやく確保されている状態であり、さらにそれに寄生する形で先進国でのグローバル金融資本主義が成立しているというのが現状である。
 したがって、資本主義的生産様式が世界の隅々(アフリカ大陸の大部分)まで展開されたとき、先進国を含めて世界の資本主義的生産体制と経済は衰退することになる。というのも、資本制的な物財生産システムは過大な拡大生産を前提として成立しており、それが行き詰まった時点で、適正消費・省エネ環境に不適合な経済は衰退し、適合した経済に移行せざるを得ないのである。
4.「情報資本主義」
 次に、「情報資本主義」という概念はどのような状況のもとで、どういう論理で成立しているのかを見てみる。「情報」と「資本」のように、資本制的生産における資本でないもの「某」を「資本」として取り扱い、「某資本」あるいは「某的資本」として最初に表現されたのは、「人」と「資本」を結びつけた「人的資本」という概念であろう。人的資本というのは、特に資本制的生産の経営管理部門や技術部門における人材が資本の再生産を左右する極めて重要な要素、資本に匹敵するような要素であるとの認識を反映して人的資本として位置付けられ、俗称されるようになったものである。したがって、人的資本という概念は、金融資本などの概念とは違って、「資本」概念とは全く無関係である。
 ついで、更なる資本主義的な生産の発展に伴って、生産構造が高度化することによって主として知識を用いて生産技術や生産管理の改善や革新を行う仕事が一般化するとともにその比重が高くなり、それを多くの労働者が担うようになったことで、「知識労働者」という概念が生じた。そして、この様な知識労働者が駆使する知識や技術が資本の再生産を左右する極めて重要な要素、資本に匹敵するような要素になったとの認識を反映して知識資本として位置付けられ、知識資本や知識資本主義と俗称されるようになった。したがって、知識資本という概念もまた「資本」概念とは全く無関係である。
 そして、情報資本主義という表現は、知識に限らずより一般的に情報の流通・処理が普遍化して情報化が進展した社会となった下での資本主義という様な曖昧な意味で用いられることが多い。例えば、佐和隆光著『資本主義の再定義』(岩波書店、1995年)では、「資本主義の「情報化」、すなわち情報資本主義」というように表現され、その情報資本主義の仕組みを解明することがこれからの経済学の重要な課題であるとしている。また、北村洋基著『情報資本主義論』(大月書店、2003年)では、情報技術革新に伴って成立したオープンネットワーク型生産様式に特徴付けられた現代資本主義をとりあえず情報資本主義と呼ぶとしており、さらにそのような「情報資本主義」でさえ、今日は確立したといえる段階にはなく、長期にわたる過渡期にあると位置づけられるとしている。すなわち、情報化がさらに進展して情報社会となっても資本主義は情報資本主義として存続すると考えているもの思われる。
 現代は情報化が進展した元での資本主義であることは確かであるとしても、このように情報技術革新に特徴づけられた現代資本主義を情報資本主義と命名することによって、暗黙の内に情報が有している本質的な特性及び資本主義の歴史性を見逃してしまうように発想が誘導されてしまうという根本的な欠陥を持つことになり、考察過程がその端緒から不適切であると言える。
5.知的財産権と資本主義
 上記のように情報はその本質から私的所有権とは相容れないものであり、資本主義的経済システムに適合しないとはいえ、情報を知的財産権の対象とすることで、その場合のみ私的所有権制度に適合できる。
 歴史的な経緯をみると、まず物財生産における技術的情報の保護が必要になり、そのため資本制下で知的財産制度が設けられ、特定の情報に対して財産権・所有権を認めるようになった。知的財産権(所有権)は、特定の「情報」を「登録」することによって、その「情報」に関して単一性・独占性・排他性を法的に強制的に認めることで財産権とし、物財的な私的所有権制度に強引に適合させ、「情報」を「物財」に擬制したものである。なお、このように特定の情報(知的財産)を私的所有権の対象になるように擬制することが可能となったのは、近代的な私的所有権が抽象化された権利として制度化されていることによる。そして、資本主義的生産方式の高度化によって情報化が進展するのに対応して知的所有権制度の重要性が増大してきた。
 かくして情報を直接的かつ重要な要素としつつ資本の論理を貫徹できる活路は、知的財産権制度にのみ見出すことができる。事実、特許権は元々工業製品とその製造技術に関するものに限定されていたのに対して、近年は農産品・種子、食品、医療・医薬、遺伝情報、情報・通信、コンピュータソフトなど、見境無く特許の対象にし、情報を物権化することでマイクロソフトやアップルのように巨利を得て、投下資本に対して大きな利潤を確保しようと躍起になっているというのが現状である。このようしてさらに大部分の情報を知的財産権の対象として物財に擬制することが可能であれば、グローバル知的財産資本主義として情報資本主義は成立可能である。情報を私的所有権制度と資本主義経済に閉じ込めるには、すべての情報を知的財産権の対象にせざるを得ないということである。
 しかし、そうすることは不可能である。何故なら情報化の進展(情報の処理・通信・ネットワーク技術の革新)により情報は労力やコストを殆どかけずに直ちにグローバルに流通させることができるので、特定の情報に対してたとえ知的財産権が設定されたとしても、私的所有権的な効力を持つのは物財となったものに限定され、情報自体に関しては情報の特性から有効性を持ち得ず、知的財産権とは全く無関係に流通してしまい、その結果その情報は無価値となるからである。さらに、もしもほぼ全ての主要な情報が知的所有権の対象になって誰かに有効に所有されるシステムが成立すると、人間のほぼあらゆる活動が誰かの許可を受けなければならなくなり、人間活動が直接的な支配を受けることになって人間の根元的な自由と抵触し、未曾有の著しい社会的不正義をもたらすことになる。
 そこで先に「知的財産権と情報社会」で述べたように、人格権に絡む権利は別に保護するようにして、知的財産権は、情報に対するアクセス・フィーの徴収を認める程度の権利に限定すべきであり、所有権的な権利は認めるべきではない。また、少なくとも特許権は工業製品に関わるものに限定すべきであり、医療・健康、教育、食品・農業に関しては制限を加える必要がある。知的財産権を物財に対する所有権と同等に扱うと、資本主義に特有の暴走と破綻の繰り返し、不公正な支配、階級格差の拡大を来たす原因となる。
 今後は、情報化が進展した下での資本主義である現代資本主義が今後さらに情報化が進展する中でどう展開して行くかということと共に、健全で公正な情報社会を実現するために、情報の価値をどのようにして適切に保護し、生産・流通を促進するかということをより具体的に検討することが課題である。