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情報社会

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情報社会
Ⅰ. はじめに 
 知識・情報が、経済活動において重要な位置を占め、産業構造に影響を与えるようになりつつあるとの認識は1960年代に早くも提起され(フリッツ・マッハルプ『知識産業』)、引き続き1970年代には工業生産が中心の社会から知識や情報の生産が重要な要素となる社会変化が起こりつつあるとする脱工業化社会論(ダニエル・ベル『脱工業社会の到来』)が提起され、1980年には情報社会が到来しつつあるとの認識に基づく本格的な情報社会論(アルビン・トフラー『第三の波』)が提起された。すなわち、農業社会から工業化社会に変化したのと同様に工業化社会から情報社会へと移行し、現在はその移行期であるとの認識が示されたのである。
 その後、21世紀初頭の現在に至るほぼ30年間、当然のことながら視点や論点が一層明確になるなど多少の相違はあっても、基本的に社会構造の大きな転換に関する大所高所からの議論や情報社会の基本構造に関する本質的な議論は、上記したものとほぼ同様の議論(例えば、P.F.ドラッカー『ポスト資本主義社会』、1993年など)しか提起されていない状況で推移しているが、その一方で、20世紀末からの第三次産業革命ないしIT技術革新が、21世紀の世界を工業化社会から情報社会に強力に変えつつあるということが共通認識となっていることは間違いない。
 この間の現実の世界において、1960年代はケインズ政策による高度経済成長とそれを支える技術革新がなされた時代で、その中で知識・情報の役割が大きくなったことの自己認識が上記マッハルプの理論となり、1970年代はオイルショックによるインフレと景気低迷が同時に起こるスタグフレーションが蔓延して資本主義的生産の先行きが不安となった時代で、その自己認識として上記のような脱工業化社会論が提起されたものと考えられる。次いで、1980年代はスタグフレーションの打開のために反ケインズ的な規制緩和と自由競争と自己責任の新自由主義が提唱され、実行に移された時代であり、そのためケインズ政策と新自由主義政策との対立と新自由主義的な雰囲気に圧倒されるとともに情報社会に関して大所高所的に言えることは既に言い尽くされていると思われたことから社会構造の変換というような議論は消沈したものと考えられる。1990年代には社会主義国が次々と崩壊してグローバル市場が形成されるとともにそれにIT革命が結びついてグローバル資本主義、特にグローバル金融資本主義が世界を席捲することになり、その結果社会の基底では情報化が飛躍的に前進し情報社会への移行が着実に進展している一方で、表面的には情報社会に関する大局的な議論は影を潜めているというのが現状である。
 しかし、2008年のリーマンショックに端を発して2009年にかけてグローバル金融資本主義の矛盾が世界的に波及し、現在は世界的な金融システムの破綻危機と重篤な世界同時不況に晒されるとともにその根本的で明確な解決策が見出されていない状況となっている。そのため、現状における理論的課題として、グローバル金融資本主義をもたらしたグローバリゼーションを同じく前提としている情報社会の本質的で大局的な議論が必要になっていると考えられる。しかし、現在のところ情報社会とは本質的にどのような社会であるのか、情報社会に適合した社会構造なり体制がどのようなものであるについての考察は何らなされていない。また、それに伴って現在の社会状況が情報社会に向かう過程でどのような位置にあるのか認識できず、したがって現在生起している種々の問題(不況など)に対してどのような対策をとるべきか、的確な答えはまったく提起できない状況である。
 本稿は、これらの課題に答えることを目的とし、その課題解決に向けて少しでも寄与できる議論を行いたいと思っている。

Ⅱ. 情 報 
Ⅱ-1 情報
 情報社会について論じるには、情報という言葉をどういう意味で用いているのかをまず提示しておく必要があろう。本稿において用いる「情報」は端的に次のように定義することができる。
「情報とは、インターネット回線、電気通信回線、放送、印刷(出版)、郵便、運輸、手書文字、音声、人体への接触・施術などの伝達系を通じ、人の知覚系(五感)を経て頭脳に構築されている認識系に伝達される信号であって、人の活動(行為)を規定する認識・感性・情念に影響を与えるもの。」
 一般に、情報の定義として、事物は質料と形相によって形成されているという「哲学」的な認識に対応して、物質・エネルギーの担架体とパタン・情報との二つの根本要因から自然が形成されているというような関係で情報が定義付けされていることもあり、それが根本的な定義のように受け取られているようであるが、「哲学」的な認識自体が間違いであり、少なくとも情報社会を対象とする限りでは全く意味のない定義であり、上記のような定義で必要かつ十分である。
 また、事物・事象を網羅したものがデータ、データを整理したものが情報、情報を体系化したものが知識、知識を普遍化したものが理論であるとし、データ→情報→知識→理論のように下位から上位に向けて一方向に階梯的に位置づけられるものとして情報を認識する提案もなされ、一見妥当な理解のように見受けられるが、実際には下位のデータから上位の情報や知識や理論に向けて一方向に規定される関係にはなく、雑多な事物・事象から適切なデータを収集するには、理論に裏付けられた知識がなくては不可能であり、それぞれが相互関係の中で存立しているものであり、この点を確認した上で、形態的な位階として認識する必要があり、所詮は二次的な分類に過ぎない。
 Ⅱ-2 情報の各種形態
 上記情報の定義は広範で、種々の形態の情報を含んでいる。大別して思いつくまま列挙すると次の通りである。自然科学や社会科学に係る知識やデータ、物財の製造や流通に係る知識やデータ、芸術・美術及びそれらに係る知識やデータ、ゲームや漫画などの娯楽的芸術・美術及びそれらに係る知識やデータ、芸能・スポーツ及びそれらに係る知識やデータ、医療・マッサージなど人体に接触して行う各種施術及びそれらに係る知識やデータ、各種知識やデータの処理ソフトウエア、さらに物財に化体されたものを含む。
 なお、物財は、自然物若しくはその加工物などの所要の物体に対して人の利便・快楽などの便益に供するように、通常多段階にわたって加工を施して製品化したもので、各加工はそれぞれの目的を達成するために必要な加工情報に基づいて行われたものである。かくして、物財は物体に多くの情報を多重に集積・化体したものとすることができる。
Ⅱ-3 情報の生産
 情報は人間の創造的活動によって創り出される。例えば、種々の知識は、学習と研究・思索によって創り出され、種々のデータは、目的に合うように検討された方法でデータを収集・編集することによって生み出され、スポーツ・ゲームにおいては、プレーヤーの状況に応じて最適と判断してなされた各プレーとゲームのトータルな過程・結果自体が観客に対する情報の生産であり、さらにはゲームを行うための訓練・練習過程も情報の生産である。
Ⅱ-4 情報の受入
 人は生まれて以来受け入れた情報によって、環境(歴史・社会的状況)に適合した自己の認識系を構築しており、この自己の認識系に基づいて情報を受け入れている。その認識系においては、各情報の属するフィールド毎に、その情報の高度性に対応する情報ポテンシャルを持っている。
 Ⅱ-5 情報の保持
 一般に、情報は物財のように空間を占有せずかつ極めて容易に無限に複製・移転可能であるため、本質的に所有(私有)できず、保持できるだけである。ただし、一般には流通させず、特定の関係者のみに流通させれば、保持に所有的な特性を持たせることができる。しかし、情報の特性から流通を完全に阻止することは不可能に近い。このように情報は所有できないので、物財の所有を前提とするシステムである資本主義体制とは原理的に相容れず、情報社会においては基本的に現在のような資本主義体制はとらない。
Ⅱ-6 情報の流通
 情報は、情報ポテンシャルの高い方から低い方に伝達系を通じて流通する。具体的には情報の生産者若しくは保持者が伝達系を通じて特定の若しくは不特定多数の情報の受入要請者に向けて情報を移転する。その際に、情報ポテンシャルのギャップが大き過ぎると、情報が受け入れられないために情報は円滑に移転されない。情報の流通速度は、情報保持者の流通意志の有無や積極性の程度と、伝達系の流通抵抗と、情報ポテンシャルのギャップによるギャップ抵抗とによって規定される
 Ⅱ-7 情報の形態と流通形態
 情報の具体的な流通形態は、情報の形態に対応したものとなる。各別に説明すると、次の通りである。
・知識・データなどの一般的な情報――情報通信網(インターネット)などを適用した伝達系によって流通し、その流通抵抗は極めて小さい。しかし、情報ポテンシャルの高い情報を受け入れるには、その情報に対応したフィールドの情報ポテンシャルを高めるための学校や各種訓練機関による教育を受けること、若しくはポテンシャルギャップを埋めて情報を受入れ可能にする中継機構が必要であり、その分流通抵抗は大きい。
・物財に化体された情報(商品)――物財の所有権移転によって流通し、流通抵抗は高くなる傾向がある。近年は、情報通信網による所謂「流通革命」によって物財であっても流通抵抗が小さくなってきている。その一方で、物財流通に係る情報は、通例ノウハウとして秘匿されるため流通抵抗は高い。
・生(LIVE)の演奏・公演や医療などの人体を対象としてサービス提供される情報――人の対面によってのみ情報移転が可能であり、流通抵抗は高い。
Ⅱ-8 情報の価値と価格
 情報の価値は、対象情報に係る現状況の情報ポテンシャルから当該情報の情報ポテンシャルに至るポテンシャルギャップにあり、ポテンシャルギップの大きい情報はそれだけ価値の高い情報である。情報の価値は、このポテンシャルギャップを埋めて当該情報を入手するために支払っても良いと考える価格によって評価・体現されるものであり、流通時の価格として現前する。情報が流通してポテンシャルギャップがゼロになると情報の価値はゼロになりかつ情報の流通を完全に阻止することはできないことから、情報の価値は時間の経過に応じて低減する特性を持つ。従って、情報の価格は初期価格と流通抵抗と時間の関数で与えられる。また、情報の価値は受け手によって異なるため、個別的な流通の場合は受け手の状態に応じてその価格が決定されるが、一般的な流通の場合には社会的に成立している価格システムによって決定される。即ち、新たに生産された情報は社会的な価格システムの中で相対的に位置づけられてその価格が評価・設定される。この価格システムは、対象情報を生産若しくは対象情報にアクセスするのに一般的・社会的に必要とされる活動量によって規定され、その意味で情報価値は労働価値的側面を持っている。

Ⅲ. 情 報 社 会   
 Ⅲ-1 情報社会
 情報社会は、農業生産がキー産業であった中世封建社会や、物財生産(工業生産)がキー産業であった資本制社会に対して、情報の生産・流通がキー産業となり、社会活動の中枢を占めるに至った社会である。ある意味、物が主体の社会に対して、人間、その活動そのものが主体の社会であると言える。
 情報社会で枢要な点は、情報の生産・流通を活性化して人と社会の発展を促すために、情報の自由で円滑な流通を確保することである。すなわち、情報の独占や偏った保持を許さず、情報を必要としている人に普遍的に的確にかつできる限り低価格で速く流通させるシステムを構築することである。
 Ⅲ-2 貨幣の機能
 一般に、貨幣は価値の社会的評価を表す情報媒体である。物財流通社会においては、貨幣は物財(商品)の流通媒体として機能する。資本制社会においては、貨幣は物財の生産要素の所有権を得て支配下に置き、さらに労働力を商品化することで、労働によって生産された価値の一部を獲得(搾取)して利潤を生み出す資本(産業資本)として機能する。その後、資本は、重化学工業化と大量生産に対応して必要となった資本の巨大化に応じて、自ら利子を生み出して自己増殖する作用を有するとともに、財・サービスの生産・消費部門の上に成り立ち、それらの資金の需要と供給を媒介する金融資本を生み出すとともに、この金融資本に対して投資する金融市場が形成される。さらに、現在ではグローバルな金融市場が形成され、投機的なグローバル金融資本主義を生み出した。
 これに対して、情報社会においては、社会的な情報の価格システムの中で情報が相対的に位置付けられてその価格が評価・設定され、また情報の移転に際してその価格の貨幣が支払われることで情報が流通する。すなわち、情報価値に対応する価格の支払機能を貨幣が果たすことによって情報の円滑な流通が確保される。従って、貨幣は情報の価格設定と対価支払機能を持つだけで、原理的に「資本化」する余地はない。情報の価格システムは、情報の各フィールドでの情報生産に伴って各フィールド相互間で絶えず変動するとともに貨幣供給量に応じて全体としても変動する。
 なお、「マネタリズム」の登場は、資本主義体制の矛盾が激化し、情報社会に向けて移行する過程の中で、情報社会における貨幣の機能を暗示的に先取りしたものという面がある。
 Ⅲ-3 情報生産と資本
 情報社会において、情報生産を企業などの組織体として行うためには、当然のことながら、情報処理用機器を設備して外部システムと接続し、情報生産・処理作業者を雇用することが必要であるため、それらの費用を賄うために貨幣資本が必要となる。しかしながら、物財生産時の設備や資材の確保に必要な資本に比べて格段に少ない資本で十分であるとともに、情報化の進展によってますます少なくて済むようになり、それとともに生産された情報の価格に対する作業者の創造力の寄与度が直接的に明らかになるため、資本による過度な「搾取」は不可能となって「資本」は情報の「生産費用」化し、「資本」としての機能は著しく低下する。その結果、少なくとも投機的な金融資本の成立基盤は喪失する。
 Ⅲ-4 情報生産の企業体
 情報生産においては労働(創造的活動)の比重が他の生産条件に対して極めて高いため、情報を生産する企業体は、非資本制的で生産共同体的な企業体が主流とならざるを得ない。情報生産に必要な資本はその企業体の企画力によって極めて容易にかつ低コストで調達可能となる。同様のことは、1993年にP.F.ドラッカーが『ポスト資本主義社会』で、「今日では土地、労働、資本は、主として制約条件としてのみ重要な意味をもつ。それらのものがなければ、知識といえども、何も生み出せない。・・・しかし、すでに今日では、効果的なマネジメント、すなわち知識の知識に対する適用が行われさえすれば、他の資源はいつでも手に入れられるようになっている。」と述べているように早くから指摘されている。そのため、労働(創造的活動)の編制や労働環境の設定、労働の成果の分配などに関して、資本が経営者の背後にあって絶対的な支配者として振舞う資本制的なシステムは、情報生産の主体である労働者が受け入れないために成立し得ない。
 Ⅲ-5 物財生産と資本
 情報社会においても、当然のことながら物財の生産は継続されるが、主要な産業ではなくなるということである。これは、資本制社会(工業社会)では物財生産が主要となっているが、農業生産も当然継続され、かつ生産量を増加しながら産業全体での比重が低下し、社会のキー産業ではなくなっていることと同じである。また、資本制社会における農業生産は当然のことながら封建制下のシステムを維持して農業生産を継続しているのではなく、物財生産に準じたシステムによって生産は行われている。同様に、情報社会における物財生産も、資本制社会において圧倒的な支配要因であった資本の比重が著しく低下し、情報生産のシステムに準じたシステム、すなわち非資本制的で生産共同体的な企業体による生産が行われるようになる。
 Ⅲ-6 情報社会と国家
 情報社会においては、その成立の前提としてグローバル化が進展しており、国際的な各種団体・機関の充実に対応して国家の位置は相対的に低下し、国家主権の空洞化が進展することになる。終局的には、国家の国防機能は国際中央機関(世界政府)の治安機能に取って代わり、各地域の住民の管理・厚生・福祉などは住民に直結した地方自治体が行い、産業・運輸・交通などは現在の国家や州レベルを含めて種々の広がりを持つ各レベルの中間機関が担うととともに、中間機構間の調整を行う調整機構が上位の中間機関若しくは中央機関に設置されたシステムとなる。

Ⅳ. 情 報 社 会 へ の 移 行 
 Ⅳ-1 資本制社会の限界
 資本制的な物財生産の歴史的な使命は、資本を物財生産に投下して労働を支配下に置き、労働によって生産された価値の一部を搾取することで資本を自己増殖させ、増殖した資本を物財生産に投下するという過程を強力に繰り返すことで、物財生産をそれまでに見られなかった規模と速さで拡大し、人類の物財的生活の向上と文明化作用を地球全体に展開させることである。ところが、物財生産が飛躍的に拡大した結果、地球環境の悪化を来たし、石油や鉱物などの各種資源の枯渇を来たすようになり、資本制的な工業化の増進は抑制せざる得ない状況となっている。
 なお、資本制的生産システム自体はポスト工業社会においても有効な制度であるとの認識が一般的であり、さらに「ニュー・エコノミー」のように、グローバルな情報化の進展によって景気循環なき経済成長を実現できるというような見解が提起されているが、資本制は物財生産と所有権制度を基底とした、情報の生産と流通が主体の情報社会には適合しない制度であることを見逃した妄想でしかない。というのは、資本が「資本」たり得るのは、物財生産、すなわち労働によって物体に情報を化体することで物体に価値が固定化された物財となり、情報(価値)が物象化されて資本の所有に帰すというシステムが前提であり、情報(価値)が物財として物象化する物財生産がキー産業でなくなると、資本は本質的にその存在基盤を喪失するからである。
 Ⅳ-2 資本制社会の現状
 このように基底的な限界性を有する資本制社会の現状は次のようである。先進資本主義国では、資本主義体制の延命のために途上国に比べて労働分配率が高められてきた上に、近年の情報化の進展のために、物財生産の成長率は既に停滞傾向にあり、そのため金融資本の効率的な運用先は、金融先物の投機市場と、原油や希少金属や食料や水などの資源の希少化に対応した商品先物の投機市場が主流となり、金融資本はその存立の場を投機市場にしか見出すことができなくなっている。
 さらに、現在のグローバル金融資本主義においては、情報処理技術の発展とワールドワイドなネットワークの成立とモノ・ヒト・カネが国境を自由に超えて移動するグローバル市場の形成によってグローバルな金融市場が形成されるとともに、景気変動や為替変動によるリスクを回避するデリバティブ(金融派生商品)などの各種金融商品が創造され、さらにこれら金融商品に対するレバレッジ投資などが多用され、一層投機的な金融商品が重用されるようになっている。すなわち、金融資本は、物財生産システムに寄生するものであるにもかかわらず、物象化して物財生産から離れて過剰に自己増殖しており、資本市場は商品先物と同様に金融先物を対象としたレバレッジ投資による投機市場となっている。
 このようなグローバル金融資本主義は、物財生産社会から情報生産社会への過渡期で、農業生産社会から物財生産社会への過渡期において貨幣(金)の増殖が国富のキーであるとする重商主義段階に相当するものであると認められる。
 その一方で、グローバル金融資本主義は、資本制的な工業化を低賃金の所謂「発展途上国」に対して推し進め、資本制的な「搾取」をBRICs又はIBSAC(B:ブラジル,R:ロシア,Iインド:,C:中国,SA:南ア)からより未開の発展途上国に展開することで資本主義体制の生き延びを図っているのが現状である。また、低賃金で搾取率の高い途上国での資本制的な物財生産の展開とグローバル化によって低価格の物財が先進国に輸入されることで、先進国での上記物財生産の成長停滞と金融資本の投機化が一層推進されることになる。従って、資本制的な工業化が未開発国にある程度展開した時点で、資本制社会の歴史的な使命は尽きることになる。
 Ⅳ-3 情報社会化の進展状況
 情報化の進展状況を、1989年のOECDの調査による労働人口の産業別推移によって見てみると、OECDでは農業と工業とサービス業に対する労働人口の割合が、1950年に25%、36%、39%であったものが、1987年には6%、30%、64%となっており、工業部門の労働人口割合が36%から30%に低下するとともに、農業部門の労働人口が著しく低下する一方、サービス業部門が39%から64%著しく増加しており、このサービス業部門の増加は情報化の進展に対応するものと見てよい。また、米国の就業構造においては、一次産業と二次産業と三次産業とその他個人の就業人口割合が、1979年に3%、26%(内製造業21%)、62%、9%であったのが、1992年には3%、19%(内製造業15%)、70%、8%となり、2003年には2%、16%(内製造業12%)、74%、8%になるものと予測されている。このように現実に情報社会に向けて確実に進展していることが見て取れる。
 さらに、物財生産関連部門においても、三次産業(流通業)による需要情報が二次産業(製造業)を支配・規制するようになっており、さらにその製造業において対象物に対する人的労働による加工工程の比重が小さくなり、製造に係る情報の生産・処理が主要な過程となっている。その結果、製造業では、資本(設備)と情報が主要な要素で、かつその設備自体も情報を主要な要素として製造されたものである。すなわち、製造業においても、情報生産がその主体となっているのである。このように、資本制下の工業生産においてさえ、情報生産の比重が高くなることで、資本が絶対的な支配者ではなくなってきている。
 Ⅳ-4 情報の役割増大
近年は、特にアメリカで一時盛行したベンチャー企業のように、開発した技術情報を中核にして資本を呼び寄せて企業を立ち上げることが可能となり、資本制的な物財の製造業においてさえ、情報の比重が高くなる一方で、資本は情報次第でどうにでもなるものとしてその比重が低下して来ている。
 また、日本においても、例えば高輝度青色LED(発光ダイオード)やブルーレイLD(レーザダイオード)の発明を行った中村修二氏の場合、職務発明であると認定されたにもかかわらず、職務命令に反してまでも発明に邁進して開発の成功に至った高い寄与度が認められ、その発明に対して多額の対価が支払われることになった。最終的には、日本の現況から大きく外れることはできないということから大きく減額されて和解したが、地裁判決では発明の貢献度を50%として、特許発明の独占による利益(約1200億円)の半分の600億円を支払えとの判決が下されている。これは、労働賃金が支払われた以上、労働の果実はすべて資本のものであるとの資本制下の常識が徐々に覆されるようになっていることを如実に示している。
 Ⅳ-5 物財価値の変化
 物財は、本来物体に情報が化体されることで価値が固定され、物体が維持される限り価値も長く維持されるものであり、その価値の安定性を前提として、物財に対する所有権の移転によって流通されていた。しかし、近年は、情報化の進展に伴って物財の生産情報が極めて短時間で一般化するとともに、グローバル化によってより低価格で生産された物財が短時間で流通することから、物財、特に生活に使用する量産商品の価値の低下速度が著しく、商品寿命が短く、短期間に古臭くなって無価値になるという状況であり、情報と同様の特性を呈するに至っている。「物財」として価値が認められるものは、熟練した職人の高度な加工技術で製造された工芸品や芸術家による芸術作品や骨董品などの普遍的で恒久的な価値を有する特殊なものに限定されてくる。
 Ⅳ-6 資本制生産の問題状況
 日本の不動産バブル経済の破綻や、アメリカのサブプライムローンによる住宅バブルの破綻(リーマンショック)を起源とした全世界的不況に見られるように、投機的市場がいずれは破綻して経済社会全体に甚大な弊害を与えることは明白であり、現在の金融資本が主としてこのような投機的市場でしか効率的な運用ができないとすれば、資本制が既に現実的に限界に達していると言える。
 また、情報社会に向かう変化に伴って物財生産の占める位置が変化する中で、物財の需要量の変化に合わせて労働雇用量を細かく調整することが求められ、労働流動性を高くすることが強く要請されているが、そのことが日本では、開発途上国の低賃金との競争に晒されているとする財界の圧力を受けた安易な制度設計によって、低賃金でかつ不安定な雇用を拡大させ、プレカリアートを生み出す雇用システムとなっているというのが現状である。
 Ⅳ-7 問題状況の解決と情報社会への移行
 以上のような経済状況に対する解決策として、物財生産においては、発展途上国で生産できないような付加価値のより高い商品を創り出すことで利潤を確保すること以外に策はない。しかし、グローバル化した状況では新製品の商品寿命は極めて短く、金融資本の効率的な運用を可能にするような利潤を確保することは極めて困難で、過大なリターンを求める金融資本は物財生産に依拠する限りその存立基盤は無くなっている。その一方で、付加価値の高い商品を創り出す工程は、情報生産そのもの、若しくは少なくとも主要な工程を情報生産が占めることは明らかであり、結果的に情報生産社会への移行を押し進めることになる。
 資本制的物財生産社会から情報社会への大局的な変化は上述のように示すことができたが、現在の問題状況に対する対策を情報社会に向けて少しでも円滑に移行できるものにするには、情報社会への変化の過程における位置をより具体的に明らかにすることが必要である。そこで、次章で、資本主義社会の全体的な構造の概略史を確認し、その後現在の状況の認識に必要な時代まで遡って現在までの時代変遷を後づけして現在の状況を確認することにする。

Ⅴ. 資本主義の変遷 
 Ⅴ-1 全体概略史
 中世封建制は、封建領主-農奴関係を基底とし、その上をローマ教会が覆うという構造であったが、末期になると商品生産が活発となって封建領主の領域を超えた商品流通の比重が大きくなって封建領主=貴族層の閉塞化が顕著に現れ、十字軍を契機に封建領主=貴族層が疲弊して絶対王政が出現する。
 絶対王政後期には、国富は金や貴金属であり、そのため農産物の低価格化と商工業の保護政策によって貿易差額を確保して国富を増やすとする重商主義政策がとられる一方、それに対して農業生産のみが価値を増殖することができ、商工業は価値物の加工・交換を行うだけで価値を生み出すものではないとする重農主義に基づいて農民保護政策が対抗して提起される状況となる。
 その後、商品流通が一層発展することで、マニュファクチュア段階を経て産業革命による機械制生産システムによって商品生産がさらに増加するとともに、土地から開放された自由な労働者が大量に発生して労働力が商品化することで、労働一般が価値を生み出し、物財生産に供される資金が「資本」となるとともに、商品生産がキー産業化することで自由競争的資本制段階となる。
 19世紀末から第1・第2次世界大戦の間には、商品生産の重化学工業化による資本の巨大化に伴って株式会社制度が形成されて金融・証券市場が成立し、銀行を中核とするトラスト・コンツェルンからなる独占的な金融資本が各国民経済を支配するとともに、世界の資源と市場を互いに争奪する争奪戦が行われる独占資本主義段階=古典的帝国主義の段階となる。
 第2次世界大戦後は、旧植民地が政治的に独立するとともに、ソ連を中心とする社会主義諸国とアメリカを中心とする資本主義体制の西側諸国が対立する東西対立の時代になり、西側諸国では、アメリカの圧倒的な経済的及び軍事的な支配力が及んでパックスアメリカーナと呼ばれる状態の元で、旧植民地諸国がアメリカを中心とする先進国の経済的な支配システムに従属させる新植民地主義を展開する一方で、東西対立のために労使対立を緩和する必要があるため、国家が経済を制御するケインズ政策が採用され、成長経済・厚生経済が実行する国家独占資本主義段階となる。
 1970年以降はケインズ政策の限界・行き詰まりが明らかになって新自由主義政策に転換されるとともに、1991年にソ連が崩壊してグローバル市場が形成されかつそれに高度な情報処理ができるIT技術の発展が結びつくことにより、グローバル金融資本主義が形成されている。
 Ⅴ-2 古典的帝国主義の時代
 以上の資本主義の全体的な構造変化の中で、現状の具体的な理解に直接的に関係する時代である古典的帝国主義の時代に遡ると、第1次世界大戦後に、崩壊していた金本位制が復活して経済が復興し、1920年代には「永遠の繁栄」とも思われた好況期を迎えるが、米国内で農業生産物の過剰生産から農業不況を来たし、他の生産も過剰生産状態にあった中で、投機熱が高まり、ウォール街でバブル気味に株価が上昇した後1929年に大暴落し、発生した銀行倒産に対して自由放任政策をとったことで金融システムの停止に追い込まれ、さらにそれに伴って欧州から資本が引き上げられたことで欧州各国に恐慌が伝播し、1932~1933年をピークとする世界的大恐慌が引き起こされた。そして、この大恐慌からの復興過程の中で、列強各国はそれぞれ軍拡競争による強制的な需要拡大と経済圏の形成による世界市場の分割に突き進み、1939~1945年の第2次世界大戦が引き起こされ、列強帝国主義の時代は終焉する。
 このように大恐慌を発生しかつその復興過程で第2次世界大戦に突き進んでしまった状況は、金本位制の矛盾が限界点を超えていたことを示すものである。また、この間の1936年に、次の時代の経済政策の理論的支柱となるケインズの『雇用・利子及び貨幣に関する一般理論』が刊行された。
 Ⅴ-3 東西対立とケインズ政策の時代
 第2次世界大戦中の1944年に、金本位制の矛盾を解消するため、ブレトン・ウッズ協定が締結され、IMF体制によって、金をバックにしたドル本位制と為替の固定相場制が施行され、米国を中心とした世界経済の安定的な復興・発展が求められた。
 第2次世界大戦後は、ソ連を中心とする社会主義体制の東側諸国と米国を中心とする資本主義体制の西側諸国とが対峙する東西対立が世界の政治経済関係を規定する最大の要因となり、西側諸国では資本主義体制を維持するために、恐慌と大量失業の発生を防止することが至上命題であり、それを実現できるケインズ政策の採用は必然的なものであった。
 1950年代は、全産業分野で米国が圧倒しており、その貿易黒字による資金が、マーシャルプランに代表される経済援助と軍事支出と民間投資によって他の国に還流されていた。なお、1960年には後に世界経済に大きな影響を与えるOPECが成立するが、その時点では供給過剰のために原油価格の低迷を解消することはできなかった。
 1960年代には、米国では1人当たりの賃金が他国に比べて高いために、多国籍企業化が進行するとともに、多角経営の複合企業体を形成するコングロマリットブームが起こるが、基本的には国内製造業が中心の経済構造であった。また、日本は池田内閣の「所得倍増計画」によりケインズ政策による高度経済成長路線に入り、日本経済は飛躍的に発展する。その結果、以降、日米貿易摩擦が、綿製品から始まって日本経済の発展に応じてより高度な工業製品に対して生じることになる。
 この時代は、ジョン・ストレイチーの『現代の資本主義』やサミュエルソンに代表される新古典派総合の理論に見られるように、自由放任の市場経済ではなく、国家(政府)の手で経済社会を運営維持する国家独占資本主義の時代であり、ケインズ政策による経済の黄金期である。
 Ⅴ-4 スタグフレーションの時代
 ところが、1971年にニクソン大統領が金とドルの交換停止を宣言し、所謂ニクソン・ショックが起きる。これはベトナム戦争の戦費のための財政赤字と貿易赤字のため、ドルが大量に流出したことに対するドル防衛のために行われたが、基軸通貨としてのドルが金の裏づけを無くしたことで当然の結果として為替は変動相場制に移行することになる。これに対してスミソニアン協定にて固定相場制に復帰させようとしたが、すぐに破綻してしまった。ここで、ニクソン・ショックの意味するところは、価値を体現する貨幣が、金、すなわち物財から完全に離れて価値の表示体となり、価値が情報化したということにある。1944年に金本位制をやめてドル-金本位制にした時点で、すでにこうなることは必然であったといえる。
 日本は、変動相場制による円高でリセッションを生じることに対して通貨のばらまきによって対処することになる。1972年の田中内閣の「列島改造計画」による経済拡大路線は、景気をあおってインフレ傾向にすることによって、円高を抑制することを意図したものであるといえる。
 こうした中で1973年に、第4次中東戦争を契機にしてOPECが原油を2ドル/バレルから11,12ドル/バレルに一挙に5倍以上に値上げすることを宣言した結果、輸入原油価格高騰によるコスト上昇にて世界的にインフレ下の不況、すなわちスタグフレーションをもたらして第1次石油危機が発生した。このような原油の一方的な値上げを可能にしたのは、1970年代になってOPEC諸国がドルを持って成長し、持株により原油の需給がとれるようになるとリヤド協定で毎年1ドルずつ値上げさせることができるほど力を持つに至ったことと、上記の金・ドル交換停止により貨幣価値が物財から離れて情報化していたことが前提である。
 こうして発生したスタグフレーションは、過剰生産による不況とは異なり、コストアップインフレと巨額資金がOPEC諸国にトランスファーされたことによる有効需要削減効果が相乗したことによるものであり、本質的にケインズ政策で対処できるものでない。それにも関わらず、インフレーションと経常収支悪化に対して財政金融引締め政策をとったことで、不況の深刻化を一層進めることになったのであり、日本では列島改造ブームが急落することになった。
 1975年には、石油危機によるインフレの沈静化と国際収支の改善のために先進5カ国が共同して対処するためにサミットが開始された。実際にとられた対策は、公定歩合の引下げによる金融緩和と財政赤字も辞さない減税と財政刺激であり、その結果は失業率の低下や操業率の向上には寄与せずに、国内インフレの加速(狂乱物価)に寄与することになった。
 なお、OPEC諸国にトランファーされた資金は、その一部分(ハイ・アブソーバーズ)が輸入代金として先進国に還流して有効需要を改善させ、また他の部分(ロー・アブソーバーズ)は民間銀行の短期資金として提供され、それが発展途上国に対する長期貸付金として貸付けられ、それが発展途上国の輸入代金として先進国に還流し、徐々に有効需要を改善させることになり、先進国が徐々に景気を持ち直す一方で、発展途上国の累積債務化をもたらした。
 1978年にはイラン革命によって第2次石油危機が発生してインフレが昂進し、経済基盤の弱い国に通貨危機をもたらし、ポンド危機が発生し、ドル防衛策がとられた結果、各国が失業と経常収支赤字とインフレのトリレンマに悩まされることになった。日本は、財政赤字の中で7%成長を目指して6兆円規模の経済刺激策をとるとともに、ボン・サミットで300円/ドルから170円/ドルという急激な円高をのまされるが、企業の生産性の向上などの努力と、その後の200円/ドルまでの円安(1985年まで)によってそれを吸収した。
 Ⅴ-5 新自由主義・マネタリズムの時代
 1979年以降は、スタグフレーションに対応するため、主要国(米国のレーガン、英国のサッチャー、ドイツのコール、フランスのミッテラン、日本の鈴木・中曽根)がケインズ政策をスペンディングポリシーであるとして放棄し、規制撤廃・自由競争による経済効率の向上を図るサプライサイド経済学派や急進的な市場原理主義の合理的期待形成学派による政策を採用することになる。
 なお、1980年までには米国の製造業は日独に対して競争力を失っており、日本では円高による賃金高から1980年以降、多国籍企業化、省力化、ソフト産業の成長が強力に進められる。
 1981年には、米国のレーガンが、①連邦支出の伸び率を抑制して不況下でも財政削減を行う一方、②大幅減税を行い、③規制緩和を行い、④マネーサプライ増加率を実質成長率以下に抑えるマネタリズム政策を行って、所謂「レーガノミックス」が実行される。これは、ケインズ政策が政府の巨大化、官僚主義的固定化、人気取り支出の増殖をもたらしたのに対して、小さな政府、規制撤廃による自由競争、減税による企業活動のダイナミズムにより経済効率向上を図ろうとしたものである。また、1982年にはニューディール政策以来の銀行規制の撤廃が行われた。そのため、米の金利高騰を引き金とした国際的な債務危機が発生した。
 1983年に英国では、サッチャーが再選され、新自由主義政策への転換が再確認された。これは、ケインズ政策によって非生産・金利生活者である金融業者・機関を消滅させることができないまま、逆に国際的金融グループによってケインズ主義が終焉させられたことを象徴している。ケインズ政策は民間資本の国際移動を統制するものであるが、新自由主義は国際金融資金移動を完全に自由化するものであり、新自由主義を選択するということは、財政・金融の安定のため、国際収支と為替レートを雇用よりも優先すること、すなわち開放経済システムでは国際収支と為替レートの問題が、完全雇用政策より優先され、不況下であっても完全雇用政策は阻止されることを意味する。そして、新自由主義政策は、発展途上国の債務危機と民間銀行の巨大国際グループが君臨する事態をもたらした。一方、この間これらの政策もあって日本から欧米への輸出が激増し、米国が債務国化した。
 この事態に対して1985年にプラザで開催されたG5で、円高・ドル安にすることで合意され、90~80円/ドルの円高に誘導された。米国入超の貿易摩擦は、日本が輸出主導型であるのに対して米国が多国籍企業型であることによって生じたものであり、米国の債務国化が許容されたのは、日本の高い貯蓄率によって米国の赤字国債を消化したことにより、相互的なものである。
 1986年には、英国でついに金融規制緩和(ビッグバン)が実施され、新自由主義的金融政策が本格的に展開される。日本は、米国の利下げに対して利幅を一定にするため利下げを行った結果バブルが急膨張し、その後の1987年10月のニューヨーク株式市場の大暴落(ブラック・マンデー)後の1年半にわたる低金利政策によってさらにバブルが加速され、しかもその間、円高のため物価は安定状態が維持された。
 1989年5月にバブル過熱に対して公定歩合が6%まで引き上げられ、同年末には株価が天井を打ち、1990年に地価が天井を打って急落し、バブルが崩壊する。さらに、1990年8月イラク戦争が引き起こされ、それによる物価上昇に対して引締め政策が行われ、バブル崩壊後の不況を加速する。
以上の略10年間は、世界的にケインズ政策から新自由主義政策へ転換期であったが、日本のみが輸出主導型の経済構造による過剰な輸出競争力のために、円高下でも貿易黒字を確保して好況を維持し、バブルを膨張させた時代であり、次の時代にそのツケを支払うことになる。
 Ⅴ-6 グローバル金融資本主義の時代
 1991年にソ連が崩壊してグローバル市場が形成されると、グローバル金融資本主義が世界を席捲する時代となる。グローバル金融資本主義は、グローバル市場の成立と、世界をカバーして情報を瞬時に伝達するIT技術による情報網と、資金の自由な移動と市場統制の緩和によって自由競争の環境を整える新自由主義政策と、レバレッジ経営に代表される金融工学とが複合されて成立したものである。米国は、世界中に展開されている多国籍企業群と、1981年のレーガノミックス後の東海岸の金融業と、西海岸の情報通信産業とを結合させることで、このグローバル金融資本主義の展開をリードし、英国も1986年の金融ビッグバンによってこの流れに乗っており、それによって米国は1993年~2008年にわたって景気上昇し、英国も14年間に景気上昇した。
 しかし、その間に1992年にドイツと他の欧州諸国との非対称性によって欧州通貨危機が発生し、1997年には米ドルの上昇によってアジア通貨危機が誘発され、1999年に世界的な金融危機が発生するなど、金融的に弱い国々に大きな犠牲を強いる危機を繰り返し発生させている。一方、グローバル化は、地域統合を促進するように作用し、1999年に欧州統一通貨ユーロが創設されて欧州統合が着実に進展している。
 このようにグローバル金融資本主義の時代は、情報化に伴うグローバリゼーション機能によって各地域の統合を促進したり、各地域のグローバルな連携を強く推進するという肯定的な機能を持つ一方、機関投資家などの巨大金融資本と投資銀行などの投機グループが結合してグローバル市場で投機的な活動を行うことで、発展途上国に過酷な犠牲を強いる金融通貨危機をたびたび発生させるとともに、間隔をおいて世界的な金融危機とその後の世界同時不況を発生させているというのが現実である。
 事実、最近までガソリンが投機によって急騰したという状態があり、現在は、米国における住宅用サブプライムローンを組み込んだデリバティブ商品のため、2008年にリーマン・ブラザーズが破綻したのに端を発して金融危機が世界的に伝播し、世界的に金融破綻の危険が生じるとともに需要が一挙に低下して世界同時不況をもたらし、その対策のためにすでに巨額な財政赤字を抱えている政府が、さらに借金をして金融機関の救済と景気の下支えを行わざるを得ない状況に陥り、犠牲をはらいながら景気が回復するまでじっと耐え忍んでいるという状況にある。

Ⅵ. おわりに-現在取るべき対策 
 ヘッジ・ファンドの運営によって巨万の富を得ている投機家でありながら、カール・ポパーの哲学に影響を受けてオープン・ソサエティの実現を信条とし、その富を慈善活動に援助しているジョージ・ソロスは、『グローバル資本主義の危機』(1999年)において、現在のグローバル資本主義システムは、全体主義の「閉じられた社会」に対して「開かれた社会」であるとはいえ、「市場は放っておけば均衡に向かい、資源の最適配分を実現する」という市場原理主義によってゆがめられており、その不安定性のため自滅の道をたどろうとしている「開かれた社会」の一変形であると認定し、グローバル資本主義システムの不安定性を公然と認め、誤りから学ぶ努力が必要であるとしている。
 また、『グローバル・オープン・ソサエティ』(2003年)において、グローバリゼーションの負の面として、「(1) 低開発国の人々を中心に社会的セーフネットの支えもないまま苦しめられている。(2) 私的財と公共財の資源配分の比率がおかしくなっている。(3) 危機に陥り易い不安定性があり、途上国経済を打ちのめす。」という点を指摘し、グローバリゼーションの改革点として、「(1) 金融市場の不安定性を抑える-金融当局によりある程度の管理・監督を行う-。(2) IFTI(国際金融貿易機構)に内在する先進国に有利なバイアスを正す。(3) WTOを平和維持・貧困緩和・環境などの公共財を提供する国際機関にて補完する。(4) 外部介入になるとしても腐敗・抑圧を受ける国民の生活の質を高める活動を行う。」ということを提起している。
 このようなジョージ・ソロスの提案が現実化すれば、グローバリゼーションの負の面がある程度緩和されると思われるが、実際には全く無関係に、グローバル金融資本主義はその市場原理主義に基づいて市場展開したのであり、その結果、2008年にグローバル金融資本主義が本来的に有している不安定性によってリーマン・ブラザーズの破綻に端を発して金融危機が世界中に伝播し、現在はそれによって派生した不況が世界を覆うことになってしまった。各国政府はその尻拭いのために将来の税金を使うことを強制されたのである。すなわち、金融システムの破綻を防止するために金融機関に巨額の資金を拠出し、景気の下支えのために巨額の財政出動を行うことになり、その結果、現状は破綻が免れるとともに景気の底打ち感が認められている。
 しかしながら、今回のような世界的な金融危機が再び発生した場合-現状のままではその可能性が高い-には、もはや各国政府はこれ以上金融機関の救済や景気の下支えを行う財政的な余裕はなく、金融破綻と財政破綻と世界的不況が同時に発生し、世界経済が再起不可能なほどの致命傷を受け、発展途上国だけでなく、先進国でも過酷な犠牲を長期間にわたってはらわざるを得なくなる恐れがある。
 このような投機による市場価格の暴騰(ブーム)と暴落(バスト)によって経済の破綻を生じ、大きな犠牲を強いることを繰り返すグローバル金融資本主義の不安定性を無くすには、市場価格の変動幅を直接的に規制するのが最適である。変動幅の規制方法は、例えば変動幅を前日値に対して15%、一週間前に対して20%、一ヶ月前に対して25%、四半期前に対して30%、半年前及び1年前に対して50%とし、それを超えた取引を禁止し、違反者は資産の全部を没収するという方法が考えられる。また、IT技術の進歩で取引速度が速くなり、早いものだけが、また取引量の大きいものが勝者となるため、公正な取引のために取引を1分ごとのバッチ方式とするとともに1回の取引量の上限を規定し、単位時間内の取引にシリアル番号をつけ、乱数表に基づくくじ引きで順次取引を成立させる方法も適用するのが良い。
 このような方策は金融投機グループの息の根を止めるものであり、上記ジョージ・ソロスの温和な提案すら全く受け入れない金融投機グループは当然全力で阻止すると思われ、巨大な金融投機グループが持っている力関係からみて実現が極めて困難であると言える。しかし、このような方策を実現しない限り不安定性は決して解消できない。現在検討されているような、金融安定化機関を設置して重要な金融機関や金融商品を規制(BIS規制の強化など)・監督するなどという方策では、力関係から本当に有効な規制は実施できず、結局破綻が発生しそうな状況を場当たり的に抑制することを繰り返すことで、不安定要因が巨体化して決定的に破滅的な破綻に至る可能性の方が高いと思われる。
 以上のようにしてグローバル金融資本主義の不安定性の原因である金融資本の投機的な活動に規制を加えることによって、投機以外にその活路を見出すことが最早できなくなっている資本は、果物が熟すように徐々に活動力を弱めて行き、最後は自然に落果するように歴史の舞台から静かにすなわち人類の過酷な犠牲や痛みを強いることなく退場することになり、情報社会に向けて円滑に移行することができる。なお、資本主義は無くならないとする立場をとる人々についても、資本主義の存続を図るためには投機を効果的に規制しなければならないことは同じであり、規制の程度によってどれだけ深い破綻と犠牲をどれだけ繰り返すかが決まるだけで、歴史の流れを押さえることはできない。